自己啓発本について


人間のふるまいというものは、太古の昔からそう変わってはいない。

ソクラテスの”汝己を知れ”だとか、
老子の”千里の道も一歩から”だとか、
たいてい自己啓発本に書いてあることは、
古代哲学か宗教から来ている。

日本人の自己啓発本好きは、
あいまいな宗教観の現れであろう。

自己啓発本なんてものは、
大抵、実行に移さない。

なぜか?
読むことによって、自分のモチベーションが保てればそれで十分なのだ。
それを認めようじゃないか?

よくあるやつを読んでいて、
概ね主張は同意できる。
特に、”進歩のないやつが「よくあるやつだ」と言う”、は激しく同意である。

しかし、反省すべきかどうかは別問題だ。
自分の進歩性のなさを一体どう評価するのだろう?
”気付き”くらいにしか筆者は思い浮かばない。

もうさ、
べき論はやめたらどうだろうか?
趣味や遊びと、仕事の境界が人為的なものだと気付いたらどうだろうか?

う~ん…自分でもなにを言っているかわからないな…
同意は出来るんだけど…

自己啓発なんて趣味みたいなもんさ…
人間ってそんなに向上心が必要なのかい?
誰に対しての向上心だい?他人と比較するなら意味が無いんじゃないのかい?

いいたいところはそんなところだ。
勢いよく書き込んだほうが、意外と言いたいことが伝わるね。

未だこれを行うこと能わざれば、唯だ聞く有らんことを恐る ~子路(論語)
 「子路は、何かを聞いてそれを未だ行えないうちは、さらに何かを聞くことをひたすら恐れた。」

多くのことに手を出す前に、今、目の前にあることをこなしてから、次の課題に取り組みたいものだ。