子供と大人の境目は人為的なものだ。
なぜならば、諸国・諸時代で大人とする年齢が異なるからだ。
厳密に大人であることが証明できるならば、大人となる基準は不変であるだろう。
思うに、子どもと大人の差は、
社会のルールを知っている、かどうかだと思う。
しかしながら社会のルールの知識は必須ではない。
技術レベルの進歩に従って、社会のルールも変動する。
変動した新しいルールを得るチャンスに、子供と大人の差はない。
だから、社会のルールは、
知っているに越したことはないけれども、知らなければならないわけではない。
したがって、
大人は子供より優れているわけではない。
むしろ、何も知らないこと、自分で何とかしようとすること、に関しては、
大人より子供の方が優れている。
子供は、自分のできることがわかってるからである。
社会のルールというのは、
生きていくエネルギを最小限に抑えるため、に用いられる。
ザックリ言ってしまえば、「楽をしたい」からだ。
基本的に経済とは楽をしたいものだ。
必要最小限のエネルギで最大限の利益を得ようとするのが、
経済だからである。
子供は、楽をしたいのではなく、
楽しくしたい、ことを優先する。
楽しい、という感情は、
その感覚を相手に伝達することが困難である。
楽をする、がビジネスなら、
楽しい、はアートなのである。
人生、楽をしたいのか?楽しくしたいのか?
と聞くと、大抵の人は”楽しく”を選ぶ。
それならば、
社会のルールよりも先に、
子供からならう、ことを優先すべきではないか?
大人は、子供に対して優位な立場に立とうとしがちだ、
その姿勢がそもそも間違いではないかと思うのである。