その時、修行者のおじいさんとこんな話をしたんだ。
僕はこう言った。
「無門関のどこが優れているか 分からない。ショートコントにしか思えない」って。
おじいさんはこう答えた。
「修行を積んだ人にしか分からない世界なんだよ。我々にとってはショートコントに見えるかもしれない。でも修行を積んだ時に、はっと、ありがたいと気がつくんだよ。」
月日は経って、池田晶子さんの「あたりまえのことばかり」を読んだ。
そこにはこう書いてあるんだ。哲学書は笑える…と。
僕にはそうは思えなかった。
ニーチェはユニークさはあるけど、笑いは出なかった。
でも…この人なら、無門關の意味がわかるんじゃないかと思った。
そのとき感じた。
おそらくこの先、(仏教に邁進するつもりは無いけれども)
無門關がどんどんわかるようになってきたとして、
いつかまた、笑える方へ戻っていくのではないかと…