ユーザーエクスペリエンスを議論する資料に目を通していると、
フラストレーションが溜まってくる。
直感性だとか、シンプルさだとかを論じているにもかからわず、
UXという単語が頻出する。
ユーザーエクスペリエンス(UXと略記されることが多い)とは、ユーザーがある製品やシステムを使ったときに得られる経験や満足など全体を指す用語である。
どうもこの
UXという単語がシックリ来ないのである。
Xの存在にはてな??が浮かぶ。
UXと呼ぶことそれ自体がUXに反していないか?と感じるのだ。
言うならば、UXと表現されることそれ自身が、
情報の受け手の満足感を低下させられている、と思う。
(発信者としては便利な用語であるのだろうが…)
そこで、Neverまとめを用いて、世に問うてみた。
【呼び掛け】ユーザーエクスペリエンスを「UX」と呼ぶの、止めませんか?その結果、以下の反応が返ってきた。
- 呼び掛けられても…
- ユーザーエクスペリエンスに反するってそもそもの問いが面白いのでどうせならここをふくらませよう!
- これは外来語を適切に和訳して略すな、ということでしょうか……
- 直感」という語をそのまま使ってる奴の作るものは信じられない
- UXを小難しく説明しちゃうことがUXのUXを低下させている・・・みたいなw
ここで反応に対して、すこし掘り下げて考えたいと思う。
1.呼び掛けられても…
その通りである。呼びかけたからどうなる?という問題ではない。
しかし今回の目的は共感してくれる人がいるかどうか、ただそれだけなのである。
2.ユーザーエクスペリエンスに反するってそもそもの問いが面白いのでどうせならここをふくらませよう!
こう言ったコメントを頂けてうれしい。ありがたく思う。
1に矛盾するが、こう言った議論の発展を期待していた。
残念ながら発展には至らなかったようであるが…
3.これは外来語を適切に和訳して略すな、ということでしょうか……
「適切に~略すな」、が理解できていないのだが、
仰りたいことは、”適切に和訳せよ。略すな”と解釈する。
和訳せよ。というのを議論の的にしているわけではない。
言いたいのは、
”使いやすさのガイドラインを議論している場に、
別のガイドラインを前提とするならば、
使いやすさを議論することにはならない。”
ということなのだ。
和訳するかどうかは議論でなく方法論である。
4.直感」という語をそのまま使ってる奴の作るものは信じられない
ご批判を頂いているようであるが、おそらく感じていることは同じなのだ。
筆者が直感といったのは、現状では直感という言葉でしか評価できないからだ。
信じる信じないは信念の問題である。
しかし満足感は信念ではない。
そのまま使うか、オブラートに包むかを議論しているわけではない。
UXという言葉を直感に置き換えたらどうなるだろうか?
まったく同じ解釈で成り立つのである。
したがって、UXという単語は直感をオブラートに包んだだけなのだ。
誰もが評価尺度を期待している。
逆に言えば、誰もが客観的に評価されたがっていると言えるのではないか?
UXという立派な用語はごもっともであるが、
おそらく評価尺度を期待する時点で、
進路が少しずれているように思う。