概要は以下の通りである。理解を助けるため、修正を加えている。
「夫婦は、3人の子供のクリスマスプレゼントを買いに来た。
3人の子供には、欲しがっているDSをプレゼントするつもりだ。
DSの価格は10000円である。
予算は30000円である。
ところが店ではセールをやっており、
通常15000円の3DSが、2体同時購入で20000円となるという。
したがって、3DSを2体買い、DSを1体買っても、30000円。
予定通り、DSを3体買っても、30000円。
3DSを2体買うほうがオトクである。
子供も喜ぶだろう。
しかし、一人は、3DSでなくDSがあたえられることになる。
差別化をしてまで、3DSを与えるべきか。」
もしこれが思考実験でないならば、筆者は3人に3DSを与える。
予算をオーバーしてもだ。
旧世代機は、廃れるのが先なので、
結果として3DSが長く使えるだろう。
しかしこれは思考実験であり、予算30000円という制約がある。
筆者の主張はこうである。
人間においては、納得は持続するが、満足は持続しない。
つまり満足とは、感情、この場合幸福感の差分(速度)ベクトルだと考える。
(あるいは加速度ベクトルかもしれない。)
与えられた瞬間はうれしいであろう。
しかしその満足感は持続しない。ずっと持っているからである。
子供に対して差別化を測った場合、
DSを与えられた子供は、常に負の差分を兄弟に対して持つことになる。
したがって不満だけが蓄積されていく。
3DSを与えられた子供は、おそらく優越感から幸福感が一般に比べて持続するだろう。
子供に対して公平化を測った場合、
負の差分は発生しない。
差分ベクトルがゼロ(飽きる)になるのは、差別化より早いが、
負の差分は発生しないことにより、家族全員が満足感を得られる。
事実を知っている親以外は、である。
つまり、人間、知らなくていいことは知らなくて良い方が、満足感を得られる
ことになるのである。