世界は自分一人しかいないのではないか?
知人は、自分の心の投影ではないか?
ということだ。
筆者は、ループを読んだ時から、たびたびこの疑問を感じてきた。
最近は、その思考が加速しているようだ。
今この現実は、自分の思考の産物と、ノイズによって成り立っているのではないか。
カントは「我思う故に我あり」と言ったが、
哲学はそれ以上進めてはいない。
むしろ、ウィトゲンシュタインの発言によって、
限界を迎えてしまったのだから…
科学と宗教の違いは、
再現性の有無であると、筆者は思う。
心に真の再現性は・・・ない。
都度、経験として蓄えられるので、初めてで緊張とか、慣れてきて飽きたとか、
体験の投影に再現性はない。
つまるところ、
あなた自身も仏陀です
という仏教は確信を着いているんだよなぁ…
仏教は、宗教というよりも哲学に近い。
科学ですら、出発点は宗教だしね…
と、いうことで、
全ては自分の心の投影、真なるリアルはない。
と思って過ごすと、
いく分か気持ちが楽に過ごせるのだ。