[B]欲求は生命より尊い


もが”理想的な自分”と戦っている。
そのギャップに苦しみながら生きている。

想的な自分は自由奔放である。なんでもやってしまう。
しかし、実際の自分は何かと理由をつけて、それを諦める。
”我慢”するのである。

我慢…聞こえは良いが、
実際には、”我慢”という感情に流されたのである。
我慢は美学ではない。欲望の一つである。

我慢は何故あるのだろうか。
我慢の発生源は、”他者”である。自分ではない。
つまり我慢するとは、他者、又は相手の欲求に従うことを意味する。

手の欲求に従っているのだから、
理想的な自分と間にギャップが生じるのは当然である。
相手に合わせているのであって、自分に合わせているのではない。
理想的な自分と、いまここにいる自分との間に、他者は存在しない。

他者に合わせた生き方に、何の価値があろうか。
理想的な自分とのギャップがかけ離れるだけである。
そうして過ごした生命は、「わたしはこうして生きた」と言えるであろうか。
おそらく言えない。なぜなら決定したのが他者であり、自分ではないからだ。

はこうして生きる」と腰を据えるには、
「生きること」自身を重要視するのでなく、
「理想的な自分」を重要視すべきだ。

そういう意味で、欲求は生命より尊い